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元ディープ・パープルのジョン・ロード死去

ディープ・パープルジョン・ロードが、亡くなりました。
ディープ・パープル結成時のメンバーで、1976年の解散まで、キーボードを担当していました。ご冥福をお祈り致します。
少し前に、CMにも使われていた「ブラック・ナイト」
「Black Night」 by Deep Purple

ジョン・ロードは、クラッシクピアニストを目指していました。ディープ・パープルは、プログレッシブ・ロックというより、ハードロックにジャンル分けされていましたが、ディープ・パープルサウンドも、時折クラシカル要素があったような気がします。ジョン・ロードが弾くハモンドオルガンの音色のせいかもしれません。
ジョン・ロードは、そのハモンドオルガンを楽器として使っていたことで、知られています。改造も加え、特許もいくつかとっています。
初期の曲で、好きだった「ハッシュ」。1968年の映像の割には、綺麗。ジョン・ロードもリッチーブラックモアも、ものすごく若い!!ヴォーカルが、まだイアン・ギランが加入する前。
「Hush」 by Deep Purple




ジョン・ロードは、ホワイトスネイクにも在籍していたことがあります。私自身、ディープ・パープル全盛の頃のコンサートへは、行っていませんが、ホワイトスネイクは何度か行きました。ホワイトスネイクの公式サイトにも、ジョン・ロードの死去のニュースが載っています。

ホワイトスネイク
ジョン・ロードが最も影響を受けた作曲家は、ベートーベンでした。
こちらの演奏は、第7期のディープ・パープル時代の映像。ベートーベンの交響曲第9番「歓喜の歌」。子供の頃は「喜びの歌」って教科書に書いてあった気がしますが・・・。年末に歌う「第九」で有名です。レインボーのアルバム「アイ・サレンダー」のラスト曲「治療不可」は、にこの曲をアレンジしたもの。
途中で、「エリーゼのために」もご愛嬌で弾きます。最後の方で、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」も・・・。

最後に、リッチー・ブラックモアディープ・パープル時代のパクリを告白。

パクリと言っても、一部のフレーズという感じですが、こんなにあったとは。アンプが燃えるシーンもすごいけど、これが当り前でした。レインボーのコンサートでも、ギターを壊していました。
往年のロックスターも、60代70代になり、ライブ演奏が段々厳しくなってきました。。。でも、来日公演があればつい、足を運んでしまいます。

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tag : ジョン・ロード ディープ・パープル リッチー・ブラックモア

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趣味は、映画鑑賞と音楽鑑賞。時々、コンサートへも行っています。運動は、テニスとゴルフ。ゴルフは初心者です。
過去に、主婦になってから習い事で、パン教室とトールペイント教室にも通いました。
独身時代は、コンピュータースクールのインストラクター。
今でも、PCを使う事が好きです。

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